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5分でわかる渋谷の歴史

テクニカル・ディレクター、日本神話オタクの安藤です。

僕は普段、渋谷オフィスで仕事をしていますが、ロフトワークに勤務するまでは、渋谷にはあまり馴染みがありませんでした。

神社巡りで金王八幡宮、渋谷氷川神社、国学院大学博物館には、たまに行ってましたが…。

そんな今まで知らぬ土地だった渋谷ですが、こうして縁ができたことで、渋谷の郷土史に興味がわき、白根記念渋谷区郷土博物館・文学館に行って勉強してきました!

ここでざっくり、渋谷の歴史を5分程度で紹介したいと思います。

導入:渋谷は「谷」です

普段あまり意識しないかもしれませんが、渋谷は名前の通り、です。

わかりやすい例でいえば、道玄坂、宮益坂、金王坂といった坂がたくさんあります。
それに地下鉄である銀座線が地上にでています。

銀座線が地上にある渋谷

銀座線が地上にある渋谷

渋谷川宇田川水系によって浸食され、5つの台地と谷でできている土地…それが渋谷です。

青山周辺(東渋谷台地)、鉢山町周辺(西渋谷台地)、千駄ヶ谷、代々木、幡ヶ谷が5つの台地となっています。

縄文〜古墳時代

古代の渋谷は歴史の表舞台には出てきませんが、台地の縁辺部に古墳や遺跡が確認されています。

代々木八幡宮の境内にある代々木八幡遺跡などが有名です。

縄文時代の集落跡で、竪穴式住居が復元されています。

平安〜戦国時代

まだまだ歴史に名前が出ず、謎が多い時代です。

明確に文献に登場するのは戦国時代になってから。

いくつか伝説は残っており、金王八幡宮は平安時代後期の創建と伝えられています。

「渋谷」の由来に関わる金王八幡宮

金王八幡宮

金王八幡宮

金王八満神社社記』によると、源頼義・義家父子に仕えた河崎冠者基家という武将が功をたて、武蔵国豊島郡谷盛庄(現在の渋谷)を与えられました。

※基家は小机六郎、平基家、秩父基家とも呼ばれ、桓武平氏の流れをくむ秩父氏の出。もともとは河崎庄(現在の川崎市)の領主。

その子・重家が源義家とともに、宮中に侵入した盗賊を生け捕りにした功から、盗賊の名をとり、堀河天皇から渋谷姓を賜ったといいます。
以後、重家の領地である谷盛庄に渋谷村ができたといわれています。

また金王八幡宮の由緒書では、平武綱という武将が武功をたて、平武綱河崎土佐守基家の名を賜り、武蔵国谷盛庄を与えられました。
基家は、信奉している八幡神のご加護だと、秩父の妙見山(武甲山)から八幡宮を自らの城館(渋谷城)に勧請しました。

これが現在の金王八幡宮といわれています。

金王八幡宮境内にある、渋谷城 砦の石

金王八幡宮境内にある、渋谷城 砦の石

戦国時代には周辺地名が既に成立

東国の覇者・北条氏康

東国の覇者・北条氏康

戦国時代になると、渋谷は、相模の戦国大名・北条氏康の勢力下でした。(『戦国無双』に出てきますね!)

驚くことに、この頃には現在もある地名が既に成立していたようです。

氏康家臣たちの所領を記した『北条氏所領役帳』に、下渋谷原宿幡ヶ谷千駄ヶ谷平尾(広尾)などの地名が登場します。

江戸時代

「農村」から「都市近郊の地」に

青山渋谷絵図(国立国会図書館デジタルライブラリーより)

左中段あたりが渋谷。ほとんど田畑であることがわかる(青山渋谷絵図 -国立国会図書館デジタルライブラリー)

山手線の内側がかつての江戸」と言われたりしますが、渋谷は江戸の外れ、はじめはただの農村でした。

しかし都市の拡大で東側が次第に武家屋敷となっていき、「都市近郊の地」というポジションが確立していきました。

青物の仲買い問屋、立地を活用した水車による米搗きの請負が盛んになり、発展していきます。

明治~大正

農業の衰退

まだ農村的な側面も持ち合わせていましたが、都市化、工業化で衰退していきます。

作物は蕎麦とうもろこしさとうきびスイカをよく育てていました。

渋谷に牧場があったんです

食生活の変化で牛乳の需要が高まり、意外なことに渋谷に牧場がたくさんできました。
都市近郊で土地があいていた渋谷は乳業に適していたようです。
しかし次第に代々幡方面に集中するようになります。

幻の銘茶「渋谷茶」

桑・茶栽培奨励の政策で、特に東側で茶栽培が盛んに。
渋谷茶」として名を馳せましたが、東海道線開通で京都の宇治茶が流入すると、急激に衰退してしまいました…。

工業地としての渋谷

まだ地価が安く、川や用水沿いに工場が移転してくるようになり、工業化が進みます。

かつて農業利用だった水車工業利用に変わります。
その多くは精米・製粉ですが、ほかにも菜種油搾り電線製造紡績など、多種多様な工場が渋谷にありました。

石油発動機やモーターが普及すると水車は姿を消していきます。

渋谷駅開業

渋谷駅千駄ヶ谷駅など、次々に駅が開業し、鉄道網が発達。
駅を中心に商業地域が形成していきました。

映画館、飲食店が集まり、円山町一帯は三業地(料亭・芸者小屋・待合茶屋の営業が許可された地域)に指定され、花街として発展します。

さらに関東大震災後、下町の老舗・有名店が百軒店に移転してきて賑わいを見せます。

戦前

“ターミナル”渋谷の誕生

1932年から、渋谷は区になります。渋谷区の誕生です!

新しい鉄道が次々に開通し、渋谷駅はターミナル駅となります。

デパートができた!

写真は1950年ですが…

閉館した東急百貨店東館がかつての東横百貨店。写真は1950年ですが…

1934年、東横百貨店(現在の東急百貨店)が開業しました。ターミナル・デパートでは関東初!

郊外居住者向けに生活用品を主力に販売したことが成功し、渋谷商店街の形成に強い影響をあたえます。

戦後

戦後復興のスタートは闇市でした。渋谷も駅前などに闇市ができます。

米軍施設が「流行の街」・渋谷の発端?

かつて代々木練兵場だった場所はワシントンハイツ(在日米軍施設)となります。

ワシントンハイツ全景

ワシントンハイツ全景

アメリカの町が渋谷にできたようなもので、アメリカの豊かな暮らしや文化は、当時の最先端であり、人々の憧れでした。
現在の「流行の街」という側面のはしりだったのかもしれませんね。

渋谷を生まれ変わらせた、東京オリンピック

ワシントンハイツは1963年に返還されます。翌年、東京オリンピック開催で、跡地は国立競技場選手村といった、オリンピックの主要施設に生まれ変わります。

代々木国立競技場

代々木国立競技場

オリンピックに伴い、道路の拡張、高速道路開通、下水道管の埋設など、都市機能が充実が進み、渋谷は大きく生まれ変わりました。

現在の街並みの原型は、この頃に出来上がりました。

まとめ

いかがでしょうか?

江戸時代まではただの農村だったことにも驚きですし、まさか明治期に牧場やら、渋谷茶なんてあったとは…!

意外な渋谷の一面を知ることができました。

渋谷という街は歴史の中で、その台地・谷という特性を活かしつつ、変化し、発展していったことがよくわかります。

今回は「道」にはあまり触れませんでしたが、渋谷にも鎌倉道が走り、また青山通りや玉川通りは相模・大山阿夫利神社に続く大山道で、円山町はその宿場町という側面から花街へと発展していったようです。

道という視点から見る渋谷も面白そうですね。

もっと知りたくなったら

白根記念渋谷区郷土博物館

白根記念渋谷郷土博物館・文学館をおすすめします。
1階が企画展示、2階が常設展示、地下1階が文学館となっています。
だいたい30分で見れ、常設展示では渋谷の歴史をとてもわかりやすく解説しています。

住所 〒150-0011 東京都渋谷区東4丁目9−1
開館時間 10:00-17:00(入館は16:30まで)
休館日 月曜、年末年始
入館料 一般:100円
小中学生:50円
アクセス <徒歩>
渋谷駅から約20分
<バス>
都営バス(学03 日赤医療センター行き、54番のりば) 「国学院大学前」下車徒歩2分
ハチ公バス(恵比寿・代官山循環) 「郷土博物館・文学館」下車すぐ
ホームページ https://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/kyodo/
安藤 大海 安藤 大海

ロフトワークの日本神話オタク。
2016年にロフトワーク入社。
前職でサイト制作をおこなってきたスキルを活かし、主にWordpress案件における技術面のサポートを行う。