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Ars Electronica 体験レポート 2017 / オーストリアの地方都市から学んだこと

「ああ、かつてアイデンティティを失っていたあの街ね。」
オーストリア第3の都市であるリンツに視察に行く、とドイツ出身の友人に伝えた時、真っ先に返ってきたのがこの一言だった。かつては鉄鋼の街として栄えたリンツは、オーストリアの首都ウィーンから電車で1時間程度南に位置する。

私の友人が「アイデンティティを失った」と言ったのは、1970年代以降、第3次産業への産業転換で鉄鋼業が衰退し、街の活力が一度に落ち込んだことを指す。失業率は高く、この街における将来の希望を失って、多くの若者がリンツを去ったという。

リンツの人口は、渋谷区より少ない約20万人。渋谷区がそのまま「都市(city)」になった規模感だ。

街の再生に向けて行政が様々な試行錯誤を行う中、市民の取り組みから始まったのが1979年のアルスエレクトロニカ・アートフェスティバルだ。今でこそ最新のテクノロジーとアートを掛け合わせて世界的に有名なアルスエレクトロニカセンターだが、1979年当時から、来るべきコンピュータ文化にいち早く着目して大規模な電子音楽フェスティバルを行ったというから、その早熟さに驚きだ。この大規模なイベントが、現在に続くアルスエレクトロニカの原型である。その30年後である2009年には、ヨーロッパの「文化首都(Euorpe’s capital of culture)」の称号をUNESCOからもらい、「文化都市」として再生を遂げた。

Ars Electronicaからヒントを得た、100BANCHの実践

今回そのアルスエレクトロニカに視察に行くことになった経緯は、他でもない、今年7月7日に渋谷にオープンした100BANCHだ。パナソニック株式会社の100周年事業の一環として始まった100BANCHは、35歳以下の活動を応援する次世代のための「実験区」。私はこの場所の立ち上げと運営に関わらせてもらっているのだが、実は、この100BANCH誕生の背景には、アルスエレクトロニカから得たコンセプト着想がある。

アルスエレクトロニカのメイン会場は「POSTCITY」といって、使用されなくなった古い郵便局の建物を再利用している。工場のようなオープンスペースに、屋台のように様々なサイズのスチールシェルフを組み合わせて、それを展示の場として使用したり、緩やかに空間を仕切るパーテーションとして使用したする。この空間の緩やかなフレキシビリティと、隣同士で今にもコラボレーションが行われそうなオープンさ、そして何よりも、様々な実験的なプロジェクトをすべて飲み込むアルスエレクトロニカの包容力、それが100BANCHの「Garageプログラム」を生み出した大きなインスピレーションだ。

去年2016年のアルスエレクトロニカフェスティバルの様子。ガレージのような空間に、屋台のように棚を組み立てて作品を展示している。去年のレポートはこちら

そんなわけでアルスエレクトロニカの話は毎日のように聞いていながら、実際私自身は訪れることはないまま、100BANCH、2017年7月7日オープン。今回、毎年9月に開催されるアルスエレクトロニカ・フェスティバルに行っても良いとの許可をもらって、パートナーであるパナソニック株式会社の担当者の方と共に、大興奮しながら飛行機に飛び乗った。

開催期中、ひたすら街を歩く

郵便局であった時代の建物の構造がそのまま生かされた、いや、ワイルドにハックされた展示風景

リンツに到着してからは、ひたすら街を歩く。アルスエレクトロニカ・フェスティバルでは、街全体が会場だ。ドナウ川沿いのアルスエレクトロニカセンターを中心に、市街地の各所に点在する文化施設をフル活用して作品の展示やパフォーマンス、コンサートが行われる。限られた時間ですべて見きることが出来るのか?というかすかな不安を前に、運動用のスニーカーを足を突っ込み、ひたすら歩き始めた。

メディアアーティスト落合陽一さんの作品。落合陽一さんは、100BANCH Garage Programのメンターの一人でもある。

メイン会場は、先にも触れたPOSTCITY。明らかに以前は駐車場であったところを入り口に、世界中から集まったアーティストやクリエイターの作品が並ぶ。

面白いのは、この建物が郵便局として使われていた当時の構造がほぼそのまま残っていること。荷物を分別するために使われていた滑り台パイプやコンベアーなどがそのまま残っており、自由に歩き回れるだけではなく、展示スペースとしても活用されている。隅々まで綺麗に整備・コントロールしてしまう日本では想像できないほど、良い意味で「適当」だ。

『FIST PRIZE』は毎年、科学、テクノロジー、アートを横断する革新的なプロジェクト2点に対して授与される。

中心市街地にあるOK CENTERでは、受賞作品に関する様々なトークイベントが行われた。我々が向かったのは、ロフトワーク代表の林千晶がパネリストの一人を務めたセッション。アルスエレクトロニカでは毎年、欧州委員会からの命を受けて優秀な作品に対していくつか賞を授与しているが、『STARTS PRIZE』という栄誉ある賞を、今年は日本人のアーティストやくしまるえつこ氏が受賞した。作品は、「人類滅亡後の音楽」をコンセプトにバイオテクノロジーを用いて制作した『わたしは人類(I’m humanity)』。

審査員としてアルスエレクトロニカに参与する林千晶が彼女の作品を推薦したこともあり、他の受賞者と共に登壇し、受賞作品の意義についてプレゼンテーションを行った。きっかけは2016年に茨城県北で行われた、KENPOKU芸術祭だ。茨城県北地域に生息するシアノバクテリアの塩基配列を用いて生み出された楽曲“わたしは人類”は、世界全国から集まった多くの審査員の心を掴んだという。

広大な敷地面積のあるPOSTCITYだが、見所は、地下。空間を使いこなし作品に取り込んだ展示が多い。同じ作品をホワイトキューブの美術館に移行しても、同じ効果は得られないだろう。

フェスティバルの会場の一つであるLENTOS ART MUSEUMの展示「TURNTON DOCKLANDS」。未来の世界のユートピアを表現した架空の街「TURNTON 」は、ディストピアでもあり、悲しくも強くも美しくもある。写真内にある「Dear Mom, – 」から始まる手紙は、ぜひ中身を読んで欲しい。

おなじみMITメディアラボからの出展も。「The Dermal Abyss」は、タトゥーガンに従来のインクの代わりにバイオセンサーを入れ込み、皮膚に刻み込むことで、バイオテクノロジーと身体が合流する実験を行う。

先日100BANCHで行われたハッカソン「Up-Cycle」で審査員を務められた、和田永さんも参加。使用されなくなった古い扇風機を改造して作った独自の楽器、「和音扇風琴」を使ったパフォーマンスを行っていた。

期間中は、POSTCITY館内でハッカソンも行われていた。そう、展示だけではなく、パフォーマンスやワークショップ、トークイベントにハッカソンと、まさに「フェスティバル」と呼ぶにふさわしいラインアップなのだ。ここではお馴染みのスチールラックを活用して作業スペースとし、ハッカソンの参加者が絶賛作業中であったが、実践の場そのものが展示スペースにもなりうる、まさに100BANCHで理想としている光景だった。

都市と実験との交差点

こんな調子で、新しい刺激の大洪水であったアルスエレクトロニカ・フェスティバル。このまま印象的であった作品をここで紹介し続けてもキリがないし、とはいえ簡単にまとめ上げてしまうことが出来るほど安易でもない。
一つ結論として私が言えることがあるとすれば、アルスエレクトロニカの成功はリンツ市の成功であるということ、そしてその成功は、他でもない「市民のもの」であるということだ。そしてその成功には、この街の許容性と包容力が、限りなく大きい。

以下の写真の様子を見て欲しい。POSTCITYの入口受付横、ロビーのようなスペース。
この場所を、利用者が使いこなしている姿が、なんとも象徴的であると思うのだ。

アルスエレクトロニカの総合芸術監督、ゲルフリート・ストッカー氏は、市民が参加できるスペースの重要性を説いている。市全体をあげたアルスエレクトロニカ・フェスティバルは、グローバルレベルで知名度をあげつつも、そこに住む市民をあくまでも大切にしている姿勢がある。市民が決定し、参加し、(消費するだけでなく)文化の創造にも寄与する。それがさらにリンツ市の発展に寄与する。そんなエコシステムがリンツの成功の秘訣だとしたら、2020年にオリンピック・パラリンピックを控えた東京はどうなのだろう、と考えざるをえない。

最新のテクノロジーとアートを掛け合わせたアルスエレクトロニカは、これからの未来を象徴する実験場だ。しかしこの実験場には、市民の自由な参加が不可欠であり、そのためには、街全体で様々な実験を許容する包容力がなければならない。

リンツ市のマップが床一面に貼られた、アルスエレクトロニカセンターの展示室。リンツを様々な切り口から解剖することができるインタラクティブな仕掛けがある。

東京、さらにいえば100BANCHも、この先の未来を象徴する実験区である。それを単なる「未来のショーケース」としてしまうのか、誰でも参入し、使いこなし、消費するのではなく創造していく場としてのエコシステムになれるのか・・・。ここが大きな分かれ目であるように思う。

参加し、「使いこなす」ことが出来る場所

最終日、POSTCITY内、かつて鉄道駅舎であった場所で行われたピアノコンサートで、リンツ市出身のアーティストの若者に出会った。日本からやってきた、と説明すると、「日本からの参加は、確かに最近とても増えているね」、との一言。外からの観光客が増えて、地元民として息苦しくないの?と尋ねると、「全然。僕たちは「Right to the city(都市への権利)」を持っているし、それは君も同じ」、との回答だった。

「Right to the city(都市への権利)」は、フランス人のマルクス主義哲学者アンリ・ルフェーブルが1960年代に利用した言葉だ。街を、利用者としての市民の手に取り戻し、それを「自分たちのもの」として使いこな し、作品としての都市を創造する権利を指している。

この思想を、街だけではなく様々なスケールの場所に適応するとしたら?参加し、使いこなし、自由に表現し、新しい価値を生み出すようなリンツ市のような場所に、100BANCHもありたい。今後の100BANCHの可能性に、新たに身を引き締めた1週間であった。

Mariko Sugita Mariko Sugita

東日本大震災での故郷の被災を受け、都市計画やエリアマネジメントを学ぶべくブリュッセル自由大学大学院に進学。ブリュッセル、ウィーン、コペンハーゲン、マドリードの4拠点を移動しながら、Urban Studies(エリアブランディング、都市人口学、まちづくりの計画理論など)を学ぶ。欧州では計30都市、120団体以上を訪れ、ワークショップやインタビューを重ねたのち、2016年帰国、ロフトワーク入社。参加型街づくりの仕組みづくりやその情報発信を得意とし、日本の都市づくりへ貢献すべく日々奮闘中。
趣味は多言語学習と、地図づくり。

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